横浜ピンサロのダンサー志望女性

私の夢はダンサーだから!横浜のピンサロで働くことにする!

私の生まれは静岡ですが、モーニング娘に憧れた私はダンサーを夢見て神奈川にあるダンススクールに入りました。
子供の頃は病弱で、ちょっとでも気候だったり気圧だったりが変わると、すぐに席が止まらなくなったり体調を崩してしまってたりして寝込むような病弱な子供でした。
だから、子供の頃はテレビっ子で学校を休んではテレビをみて、時間を潰していました。
その頃、テレビの中で歌ったり踊ったりしているアイドル、特にモーニング娘が大好きで憧れていました。
なので、子供の頃の夢はアイドルでしたが、中学になるとそのアイドルになるという夢はもろくも崩れ去ります。
そう、私にとっては地獄の行事、合唱コンクールです。
ウチの中学だけなのかもしれませんが、なんででしょうか、異常に合唱コンクールに力を入れる風習がありました。
朝練は当たり前、昼練、放課後練までありました。
そして悲しいことに私は極度の音痴で、全体練習であまりに音程を外しまくっていた私にパートリーダーの女の子は泣きながら「歌わないで」と言いました。
私は歌うことが大好きだったので、誰かかばってくれる人はいないかと周りを見渡しましたが、リーダー的存在である指揮者の男の子は、私と目を合わせようともしてくれませんでした。
先生に至っては、まぁ人間得手不得手というものがあってだなと、フォローになってないフォローをされたこともあります。
というわけで、小学校のころから、薄々音痴なんじゃないかと思っていましたが、中学校で音痴という事実をつきつけられました。
なので、これはもうどうあがいてもアイドルにはなれそうにはなかったので、どうしたもんかと思っていたのですが、アイドルになれなくてもダンサーならいけるんじゃないかと思いはじめます。
そして、高校に入り熟考した結果やっぱり夢を捨てきれず、両親にダンサーになるという夢を伝えましたが、鼻で笑われました。
ちょっとむかつきますが鼻で笑われるのも当然で、ダンスの経験は皆無の上に、私は致命的に身体が硬かったのです。
前屈で必死に手を伸ばしても大体すねくらいまでしか手が届きませんでした。
だから、私は毎晩お風呂上がりに一時間ほど涙を流しながらストレッチしつづけました。
努力の甲斐あってか、高校卒業をすることには身体はぐにゃぐにゃの軟体人間になっていて、ここまで身体が柔らかくなった私の頑張りを見て両親は神奈川のダンススクールに通うことを許可してくれました。
しかし、前提条件として学費は私が全部出すと言うことを突き付けられてしまい、これがまた私を苦しめることになります。
ダンススクール、深夜のファミレス、早朝のコンビニのひたすらルーティンです。
寝る時間を削るしか、ダンススクールに通いながらアルバイト生活をするということが出来ませんでした。
結局、元々弱かった私の身体は悲鳴を上げて過労で倒れてしまい、病院に運ばれました。
点滴を打たれながら、このままじゃ静岡に連れ戻される!と本能的に思った私は、何とか神奈川に留まる方法を考えました。
そして出した結論が、短時間で稼ぐ。そう風俗の聖地である横浜のピンサロで働くことでした。